予測変換にたっぷりと浸っている日常のなかで、この『アステリズム』は、その予測変換的なものをことごとく裏切って、バッサバッサと切り捨て、その意表のついた切り口を、あらゆる方向から晒して見せてくれたという感じがする。
平凡に着地はしない。どこまで、飛翔するかわからない。時代もわからない。国も、名称も、人称もわからない。
ただ、『アステリズム』の世界で、駅や図書館や、楽器、人体までもが容赦なく燃やされ、終末的な滅びの予感さえ見えてくる。だからと言って、そのことに嫌悪感を覚えることはない。むしろ、その滅びに対して、憧れに似たものを感じているのも不思議だ。日々、日常に、私達は、たたき壊したいもの、燃やしてしまいたいものを、裡に秘めているということだろうか。
びしょ濡れの葉書が届いている五月いつかその森にころされにゆく
びしょ濡れの葉書は、通過儀礼だろうか。誰にでも必ずおとずれる死、その予感というものを、こんなかたちで受け取ったとしたら・・。「ころされにゆく」という、衝撃的な言葉も、ひらがなでひらいたことにより、自らが「死」を迎えにゆくような静かな決意めいたものを感じる。
そのオノで、と言いかけてみずをしたたらせ動かぬ森よ ならばわたしが
上の作品に呼応した一首。私の命を奪おうとしている森よ、お前が手を下さないなら、私自らの手で・・。森には抗えぬ不動の対象が棲んでいて常に、主体の前に立ちはだかっているように思う。
水草にくるぶしをゆるくつかまれて人生という金色の午後
死んでからも木の葉のように吹き溜まる音符よそんなに鳴らされたいか
人体はやがて落葉にみたされて火を放たれる刻待つ器
覗き穴にくずれゆく雲とざされて玄関はあふるるまでのあかね
晩年という言葉がある。冒頭に書いたように、『アステリズム』には、著者の人称は、全く語られない。ただ、上掲のような作品に、人生の黄昏の時代を生きる人間の息づかいを感じることができる。
くさなかに経帷子のこがねいろほろびてそれが風であること
えいえんのほうから吹いてくるかぜにきみの楽譜(スコア)をめくらせている
封筒のうちがわをひゅると風はゆきなんてさびしい楽器だきみは
駅は燃え寺院は沈み思ひ出のやうに風吹く 帰らうかもう
『アステリズム』には、風が頻出する。『アステリズム』のなかで、風はありとあらゆる方向から、様々な強さで、主体の身めぐりを自在に行き来する生きものである。風の表情や動きによって、主体のこころの動きががつぶさに伝わってくるのが凄い。
十一月の類語辞典と、もうひとつ必要なのは燃え上がる図書館だよ
朝、みずびたしの部屋あんなところからも哀しい音が降ってくる
『アステリズム』では、冒頭に書いたように、様々なかけがえのない物が燃やされ、水浸しとなる。それは、逃れることのできない人類の運命的な事象とも考えられる。しかし、それだけではなく、もっと、日常にある心象なのかもしれない。拘り続けているもの、固執しているもの、それらから解き放たれたい願いなのではとも思えてくる。
そういう意味から言って次のような作品は、事象をある程度捉えることができる作品だ。
猫以外みんな病んでる 惑星をひとつつぶしてしまうまばたき
ヒトハヒトヲコロシテキタソシテコレカラモ 三月、黄と青やがて漆黒
その瞳に映り込んだものをみよ駅ピアノに帰還兵が叩きつける指
帰り着いた家に家はなく巨大化した犬が涎を垂らして待っていました
思い出は(郵便的に吹く風と末黒野に燃えのこるオルガン)
何処へ翔つ風もあなたもだれかれもきらきらとして鶴折るまひる
ここにも、「風」が、表現世界の指揮者のような役割を果たしている。国として、民族として、戦火に埋没してゆく様が、戦争という言葉を使わずに、慟哭のように伝わってくる。
どこにもない季節に逢ひに行つたまま もしやけふ母を見かけませんでしたか
崩れやうとする波がしらにきいてみる もしやけふ母を見かけませんでしたか
「母」は、何のメタファだろうか。主体のなかで、毀し続けてきたもの、失ってきたものからの、再生への灯火なのではないだろうか。
毀し続けるだけでない、これからの主体の再生について、次の二首が語りかけてくれる。
だいじょうぶという言の葉がすこし先のさくらの途を照らしてくれる
わたしではないものを絶えず書き換えてロングトーンに揺れるゆうすげ
最後に、歌集名ともなった『アステリズム』について、次の作品がある。
幾世の伽藍ことごとく燃え 光球のcresc.(クレシェンド)の果てのアステリズム
消失と再生を繰り返し、人類の長い歴史は編まれてゆく。星群の歴史もまた・・。その中で、塵ほどにもない私達ひとりひとりではあるが、そのなかにも宇宙はあり、とてつもない消失と再生を繰り返しているということをあらためて思った。
印象に残った作品で、触れられなかった作品を次に残しておく。
星の布置考えている 静かな生活 ジェラ紀の端っこで切手を舐める
韻を踏むように九月の汀ゆく 水雪駄 雲のにおいを嗅ぎて
重力はこんなにもとおくて冬の鏡に象使いがしまいこむ天球儀
劇中劇をチェンバロの雨とおりすぎかたほうの翼をゆっくりはずす
十六分休符があるような気がする 雷を身ごもる都市は鍵盤
射干玉(ぬばたま)の黒洋傘(かうもり)をひらきゆく真昼屋上におひつめられて
靴二槽まぼろしのごとたつみづに冬の星座はつながれてをり
あえかなる胸の朱実を啄ばめる百のみだらな鳥部屋に飼ふ
くらぐらとひきあげられてこれの世に釣瓶は白銀(ぎん)のみづ滴らす