ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

紀水章生第二歌集『風と雲の交差点』を読む

『風と雲の交差点』は、2014年に、第一歌集『風のむすびめ』を出版
してから、9年ぶりの紀水章生の第二歌集である。

著者の「あとがき」にもあるように、近年、著者は自作短歌を朗読ビデ
オ化することに精力を傾けてきた。言葉と文字による表現以外の要素と
して、映像や音楽・朗読などの要素を取り入れた作品作りを手がけてき
たのである。

その成果として、現在、youtube上の紀水章生の朗読VIDEOチャンネル
には、短歌朗読VIDEO作品が、数多くUPされていて、著者の詩的な世
界をひろげようとする思いが伝わってくる。

そして、今回、著者はその短歌朗読VIDEO作品を歌集化することを試み、
この歌集『風と雲の交差点』が生まれたのである。

こういう道すじでできた歌集は、これまであまり類をみないものである
と思う。


『風と雲の交差点』から、印象に残った作品をいくつか辿ってみる。


着信にかけ直してもコールだけ蛍はいまも漂流している

非通知の電話三本 宵闇の向こうを走っている黒いゾウ

電話の歌を二首ひいた。
一首目、携帯電話の着信時や、通話時には、蛍の明滅のような灯がとも
る。何か行き違いがあった相手との、行き場のない不全感が、蛍という
淡々とした具象、「漂流」という絶望的な状景によって鮮やかに表出さ
れている。

二首目、「非通知」という、正体不明の相手からの通知、しかも三度も。
「黒いゾウ」は、唐突なようであって、現代社会の闇のような部分を
端的に表す不穏な存在だ。


次に「海馬」の歌を二首

まだ明けぬ暗い夜空を生きたあと海馬の奥へ沈む風花

海馬には忘れ去られた星屑が煌めきながら降り積もるのだ

「海馬」は、人間の脳のなかで、記憶をつかさどる場所。著者の作品の
なかでは、数限りない記憶が、「風花」や「星屑」となって、時空を越
えた「海馬」の海にたどりつくのだ。


ゆうぐれの土管の向こうを行くひとに世界が燃えてること伝えたい

不思議な歌だ。作中主体は、土管のなかにいるのだろうか。子どもの頃
の遊びを追体験しているようにもとれる。「世界が燃えている」、夕焼
けの美しさを伝えたいと読んだあとで、ウクライナの戦況や、一触即発
の危うい世界情勢のことをも重ねずにいられない。


さびしいと思えばさびしい音のする小さな鐘がこころにはある

どちらかというと、著者のさびしい歌が好きである。
自分は、さびしさなんか感じないで生きてゆけると思っていたけれど
ふとしたことで、これはさびしいという感情なのではと気付く。自らの
こころをかすかにゆさぶってみて、ああ自分はさびしかったんだと気付
く。心のなかで小さく音を立てる鐘が、それを気付かせてくれる。気付
いたこと自体がさびしいのだ。


もうさくら咲きそうだからもうさくら泣きそうなほど咲きそうだから

この歌も、私は、さくらの咲く直前の力あふれる歓喜の歌と読むより、
命の放出されるエネルギーに立ちすくんでしまうような、せつなさを感
じてしまった。さくらが咲きそうということだけしか言っていないのに
これほど余情を内包できるものなのだ。


呼ばれても返事はしない 少年の晴れでも雨でもないほの暗き日々

少年期、いわゆる思春期の頃の追憶。自分の感情なのに、自分自身をも
てあましているような思い、自分が何者なのか、何処へ行こうとしてい
るのかわからない、変に明るく、すぐに傷つく。
今の自分が、あの頃の自分に呼びかけられて、立ち止まっているように
も感じた。


雨であることがわたしをくぐりぬけぼっちぼっちのさんにんぼっち

「ぼっちぼっちのさんにんぼっち」を、読者のひとりひとりは、どんな
ふうに読むのだろうか。自らの境遇に重ねて、三人という集合体をどの
ように捉えるのだろうか。
わたしは、「雨であることがわたしをくぐりぬけ」から導かれる、どこ
か哀しみを纏いながらの三人であると読んだ。この広い世界のなかで、
たった三人きりだよという潔さと表裏一体となったさびしさに「ぼっち
ぼっち」が響いてくる。


歌集中、「あなた」が実に多く出てくる。相聞にとどまらず、どこか遠
くかたちのない浮遊した世界へ呼びかけているような歌も多い。
そのようななかで、次のような相聞歌が印象に残った。


駅からの暗い小道に月よりもきれいな耳を見送るゆうべ

かぎりなく「耳」に収束している美しい歌だ。一篇の物語が紡ぎ出され
てゆく。


卵抱くかたちになってしまうのだ疲れたあなたに寄り添うときは

「なってしまう」という表現から、疲れた相手を癒やしてあげたいけれ
ど、私にできるいちばんの行為はこれがすべて、という思いが切々と伝
わってくる。托卵は、そこから新しい命が生まれてくる崇高な行為なの
だ。


花の咲く季節のはじめ つんのめりあなたの影のなかに倒れる

思いがけないあなたの行動によって、作中主体の前途がいっぺんに翳っ
てしまった。花の咲く、心躍る季節なのに・・

房総へ花摘みにゆきそののちにつきとばさるるやうに別れき
   大口玲子

を彷彿とさせるシチュエーションである。これは恋愛においての暴力と
言うべきか。
「あなたの影に倒れる」は、お互いの心の機微に巣くう闇のようなもの
を感じた。


つゆくさの葉末に溜まる雨水のようで揺らしちゃいけない時間

きみがまだ水のしずくであったころ落ちそうにほら青をゆらゆら

二首ともに、美しい相聞歌と読んだ。
相手を、つゆくさの葉末に溜まる雨水や、水のしずくにたとえ、相手の
時間(生き方)を大切にしたいという思いが伝わってくる。


『風と雲の交差点』は、歌集として文字になったことから、読者は、朗
読や映像の世界とはまた違う世界を味わい直すことができるようになっ
た。

短歌朗読VIDEO作品に映し出された世界から逆流して文字になった、著
者の透明感あふれる作風を、もう一度読み直すことができるのだ。


最後に、心にとめた作品は数多くあったが、上掲のほかに、特に好きな
作品ををいくつか記しておく。


暗がりのやさしい時間をなだめおりカケスは怒ってばかりいる鳥

ハルシオン春は遠くてまだ浅い眠りの上にある無影灯

橋という存在自体が美しい破れたつばさを空に広げて

泣きだした子どものようで並木道ふるえるバイクをゆっくり押した

天窓に見えてる星が動かないピラミッドなら王の部屋だね

歳月のはざまを生きているようで濡れた落ち葉をかぞえられない

切り取った世界の欠片のコラージュの日々朝五時に新聞が来る

ソーシャルであるのかどうかあなたとのディスタンスだけはひらかない

月のない夜であるからよくわかるあなたとわたしの心のかたち