ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

畑中秀一歌集『靴紐の蝶』を読む

畑中秀一(はたなかしゅういち)さんは、白珠の同人。
現在、私が参加している「フレンテ歌会」のメンバーでもある。

昨年、40年間勤めた会社を退職し、新しい生活へのスタートとして、この第一歌集『靴紐の蝶』を上梓したということだ。

朝とらえ夜とき放つ靴紐の二匹の黒き蝶を飼う日々

歌集の題名となっている、『靴紐の蝶』は、この一首からとったと思われる。

むすびめに秋蝶しづかにおりてくる隧道ぬけたらほどいてあげる

これは、私の一首だが、この『靴紐の蝶』という題名を見たとき、すこぶる親近感を覚えたものである。著者にとって、二匹の黒き蝶は、会社勤めのためのビジネスシューズの紐だろうか。朝、出勤するとき、靴紐を結び、帰宅してから解き放す。「黒き蝶を飼う」という少し不穏とも言える表現は、ビジネスマンとしての宿命を纏った重たい心象ともとれる。

あらためて「五臓」の意味を確かめて4.5臓のわが身と知りぬ

五臓」とは、肝・心・脾・肺・腎の5つの臓を指す。著者は、そのうち、ふたつある腎臓のうちひとつを摘出したことを、歌集中から知ることができる。実は、私も左片腎のみで、40年ほどを生きている。4.5臓という捉え方をしたことがなかったので、新鮮というか0ではなくて、0.5の存在を認識するポジティブな考え方だと思った。

著者は、40年間、会社勤めをし、50歳半ばには、インドでの単身生活を経験している。どれほど熾烈なビジネスマンとしての日々が語られるのだろうかと思ったが、そうではなかった。
その表現世界を、たどっていきたいと思う。

世渡りは上手になれず夕凪の橋にもたれて海を見ており

著者の真髄は、ここにあるのではないだろうかと思う一首。憤りや、辛さを、他者に向けるのではなく、自らを静観し、自らのなかで処理し、自らが心地よくいられる術を探し出してゆく。その達人のように思われる。
そのことは、次のような作品からも読みとれる。

肉じゃがの名前に入れてもらえない玉ねぎが好き 私のようで

いややけど認めたるわというときは決裁印を逆さまに押す

世間からはじかれた夜はダイソー多肉植物コーナーに寄る

生きるってやっぱり痛い たまきはる命にひそむ叩くという字

どの作品にも、攻撃的な表現はなく、かといって自らを卑下しているのでもなく、淡々と穏やかに自らの行くべき方向を模索しているようで、それが読者にも安心感をもたらす。

歌集の中盤には、著者の物の見方、捉え方がおもしろく印象的な作品が多い。いくつか紹介しておきたい。

角と角かさね折るときズレを生み個性を競う千羽鶴たち

全く同じように折られているように見える千羽鶴にも、千の個性があるのだということに気付かされた一首。

白シーツ前抱きにして骨壺を抱えたような客室係

ホテルなどのベッドメーキングのために、白いシーツを抱え持つとき、骨壺を持っているように見えたのだろう。白という色の尊厳が際立つ一首。

電車にて舟こぐ人の横にいてやがて舟着き場となりぬべし

電車通勤をしている人なら、日々よく見る状景であろうが、「舟着き場」として受け入れたのは、著者が初めてではないだろうか。なんというしずかな包容力。

食べ終えし巨峰の皿に乱れたる家系図のごと身をさらす枝

家族が集まってきて、葡萄を食べたのだろうか。一気に食べ尽くしたあと、葡萄の残骸がとり残されている。その残骸を、乱れた家系図に見たてているところが、この一首を一気に印象づける。家系図が出てきたので、どうしても家族団らんの景を想像してしまう。

父の名の横に母の名きざまれてそのまた横の墓石の余白

少しあとには、このような一首もある。父を送り、母を送り、当然順番からすると自分の名前が刻まれるはずなのだが、その余白の醸し出すよるべなさに、ふと呆然としてしまう主体がいる。物言わぬ余白に、不確かであてどない未来を感じてしまうのだ。

はじめにも書いたとおり、『靴紐の蝶』は、著者の人柄が、まっすぐに伝わってくる歌集だ。読者は、その人柄を信頼し、安心してその作品を受けとめることができる。身構えたり、言葉の先に深くある意図を手繰り寄せたりしなくてもよい。その作品群に触れることによって、読者自身も、自らの在り方、進むべき方向を見つめ直すことになるのだ。

以下、印象に残った作品をいくつかあげておく。


誰もみな誰かの他人であることに慣れてまばゆき秋晴れの空

乾かさず出張先より持ち帰る折りたたみ傘のスペインの雨

たましいに餌やるように平日の海遊館を丹念に見る

「千寿」より「極楽」がいい 名前にてスーパー銭湯えらぶ老い母

母つけし赤丸のこるデイの日に遺族としての挨拶にゆく

忘れもの同士の傘が寄り添って語り明かしたローソンの前

ゲーム機のマリオは右へいにしへの絵巻の話は左へ進む

ふるさとが村役場から区役所へ変わりゆく間に失くした野原

島国というは知りつつ「島民」とは思わざるまま本州に住む

羽化させてくださいませというように斜めにかぶる麦わら帽子

風鈴が身がまえている ダイソンの新しく来た扇風機の風

電話しつつ充電コードに繋がれて束の間ポチの気持ちがわかる

世間では耳鳴りと呼ぶ症状をしぐれと呼んで蝉と語らう

いい卵を産むのでしょうか君をかみ私をかんだ苑のやぶ蚊は