ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

遠くの敵や硝子を/服部真里子歌集より

陽だまりで梨とり分けるしずかな手あなたとはぐれるなら秋がいい

 

    陽だまりの縁側、窓辺でもいい、母親が梨を剥き主体にとりわけてくれている。
梨は水分が多くて冷たい果実だ。小春日和の温もりの中で、そのしんとした冷たさは
いっそう際立つ。
 肉親といえども、別れゆく日は必ずくる。それが、精神的なものなのか
死を意味するものなのかわからないけれど、人は個として生きていかなければならないのだ。
    梨の冷たさとしずかな手が、それを教えてくれる。「はぐれる」という表現がその心許なさを物語っている。

 

ああ雪を待っているだけわたしたち宇宙にヘッドフォンをかぶせて

 

   喧噪のなかに身をおいていると、雪がくる前の気配はわからない。
いっそのこと、宇宙にヘッドフォンをかぶせてしまって、無音のなかで雪を待ちたいものだ・・


雪の音につつまれる夜のローソンでスプーンのことを二回訊かれる

 

   コンビニで、「レジ袋は・・」「スプーンは・・」と訊かれることが多い。
マニュアルを忠実にこなすように指導されている店員。
雪の音まで聞こえてくるような静かな夜に、そんなコンビニの店員との
やりとりが、ひどく興ざめしてしてしまう。しかも、二回も・・


水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水

 

   小さい頃、うまく泳げなくて、鼻や耳から水が入って、自分の体なのに、なんだか別の人の体になってしまったような身体感覚を経験した。
 そのとき、自らの体に入っている水の存在をつぶさに感じた。この歌から、それを思い出した。
    水仙の茎は空洞でまっすぐである。水仙のように単純ではないが、人間の体も似たよ うなつくりのように思えてしまうから不思議だ。

     ほんとうは、もっと社会的な事象をうたっていると思うのだが・・

 

雪柳てのひらに散るさみしさよ十の位から一借りてくる

 

 引き算を覚え始めたころ、一の位で引けなくなると、「十の位から一借りてくる」と
教えられたな・・。その深い意味も解らずに、繰り返し繰り返し教えられて、身につけてきたことのなんと多いことか。
 まっすぐに 純粋に、限りなくたくさんのことを吸収してきたこどもの頃・・。
触れるとこぼれてしまう雪柳の白さは、そんな子どもの頃に似ている。


前髪をしんと切りそろえる鋏なつかしいこれは雪の気配だ

 前歌集『行け荒野へと』に

前髪へ縦にはさみを入れるときはるかな針葉樹林の翳り 

というのがある。前髪というのは、顔の印象を決める大切なテリトリーだ。特に髪に鋏を入れる感覚というのはぞくっとするような官能的なものがある。針葉樹林の翳りや、雪の気配が、身体感覚として伝わってくる。

 

靴という二艘の舟にひとつづつ足を沈めて死までを行かな

 

 靴を二艘の舟に見立て、それが死までゆく舟だというイマジネーションが凄い。

補陀落渡海」を彷彿させる。


夜をください そうでなければ永遠に冷たい洗濯物をください

 

 もし、「永遠に冷たい洗濯物」を渡されたら・・。それは、生きながらにして、十字架を背負っているような感覚だろうか。重たくてひんやりとした感触が伝わってくる。
 恋人に向けて放った言葉のように思えるのだが、「共に過ごす夜をください、そうでなければ・・」 怖い・・ 

 

僕のいない春の話が好きだったガラスでできた駅舎のようで

 

 森田童子の「ぼくたちの失敗」という歌を思い出した。駅は、旅立ちの通過点だけれど、ガラスでできた駅は、存在せず、そこから旅立つことはないのかもしれない。そもそも僕自身も春霞のようにふわふわとしてとりとめのない存在なのだ。