ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

窓の匂い/前田康子歌集 より

 ずっと前から、この人の描く、草や木や花の佇まいや、匂いや手触りが、とても好きだった・・

こっつんと踏んでしまいし椎の実の楕円の感じ足裏にある

 固い椎の実を踏んだときの足の触感がリアルである。「楕円」というかたちがつぶさに感じられるところがすごい。その感覚が持続している感じもわかる。

投げ上げて両手に受けて繰り返す白粉花の落下傘いくつも

 あどけない遊びのようで、なつかしく「ちひろ」の絵のよう・・

「海号」と名付けたわけではないけれど二台目もまた青い自転車

返事してくれるわけなく夕暮れを再び端から探す自転車

 伊藤一彦さんの自転車は、「海号」、青い自転車、なんだか何処までも行けそう・・

 盗まれたのか、置き場所を勘違いしていたのか、とめどなく並んでいる自転車を、一台、一台確認していく作業・・返事してくれたらと思うし、「端から探す」が、せつない。

我が胸を机となして細きもの並べられたり歯を診られつつ

 この感じ、あるある・・という歌。身動きできず、並べられたものが金属で、ひんやり感も伝わってきます。

楽器ならどんな音色がするでしょうひゅうがみずきに風が触れたり

 「ひゅうがみずき」という名前が、ほんとうに綺麗な音色を奏でそうでステキです。

芍薬は蜜にまみれてひらけない蕾もあると花師はいいたり

 衝撃を受けました!なんだか愛情が深すぎて相手を殺めてしまうような官能的なものを感じました。

プレートの通りに咲く気なんかなく植物園の福寿草あちこち

植物園前に咲きたるなずなたち中へ入れずぽわぽわ揺る

 福寿草や、なずなに向けるまなざしが好きです。もともと自然なままの植物たちが植物園という枠のなかに入るのは難しいのです。

窓を開け窓をまた閉め夫も子も知らぬ私の一日終わる

 家族という、ひとつの集合体のなかに日々を暮らしても、全てを把握するということはないのです。

京扇子ぱちんと閉じしのち静か 螢を見ずに六月終わる

 京扇子と螢の対が雅びだけど、小さな欠落感も感じる

疲れ果て眠る夫にかける呪文ツルウメモドキサルトリイバラ

 この植物の引用の仕方、絶妙です。イバラが入っているところが、ちょっと怖い・・

わが腕を唐突に打つ野あざみの 激しさならばまだ胸にある

 一番好きな歌です。あの野アザミの棘といったら、靴底まで通しそうな激しさです。野アザミに出逢って、自らの激しさをも確かめることとなった!

毒のあるエゴノキ燐家の境目に植えてもいいでしょうか(匿名)

 ご近所さんとのお付き合いには、頭を悩ますことも多い昨今・・。こんな方法もあるのですね。そして、やはり、匿名でないとね!

座りいし角度のままか 川の辺に赤き座椅子の捨てられてあり

 時々、こんな場所に・・と思う所に、意外な物が不法投棄されていて、どきっとすることがあります。河川敷に、赤い物が置かれてあれば、目を奪われます。「座りいし角度のままか」が、確かに生活の中で、持ち主の体温をうけとめていた証のようでせつない。 

羽根切られ病院裏に飼われたる白鳥柔く頚を廻せり

 観賞用として飼われている鳥たちは、こういう運命を背負っているんですね。ただ、病棟から眺める人達の支えとなっているかもしれません。白鳥の様子を描写しているだけなのにまなざしが深い。