ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

歌集 苺の心臓/上澄 眠 より 

なんだろう・・大人になって、子どものときに使っていたおもちゃ箱を
薄暗い場所から、ひっぱりだしてみる
次から次へと時間も忘れて、ひとつひとつ手にのせてみる

おもしろくて、なつかしくて、やがてせつない・・

この歌集は、そんな感じだ・・ 


菜の花や月は静かにおとうとのえらばなかった道をてらして

冒頭は、蕪村の俳句、「菜の花や月は東に日は西に」をなぞらえたものだと思います。「えらばなかった道」は、あえて「えらばなかった」はずで、後悔はないはずである。
しかし、そこに月の光があたることで、複雑な思いが過ぎっていくのである。姉として・・。月光は、太陽光とは違う感じがあって一首を淡々と包んでいる


歯がいっぱい入っていると思ったら全部ちぎれた消しゴムだった

おもちゃ箱と感じた所以だ。どきりとして、おもしろくて、やがてなつかしい・・

 

横たわりふとんをかける秋の夜にわたしを埋葬するようにして

この作者は、自分自身を抜け出して、自分と向き合ったり、覗き込んだりする作品が多い。この一首もそうだ。自分自身を埋葬するという表現が意表をつく。

 

明日までに世界が終わればいいのにと小学生は何度も思った

子どもの頃は、苦手なことがあったり、友達と喧嘩したりすると、学校へ行きたくない、世界が終わってしまってほしいと、真剣に考えたものだ。それが世界のすべてであったから・・

 

読みながら食べたいのだがコンビニに寺山修司に合う菓子がない

そうですね・・コンビニにはありそうもないですね。昭和の時代の駄菓子屋さんにならあるでしょうか。

 

春深しかべのかがみがかたむいてもわたしはかたむかなくて

春爛漫の季節なら、もしかしたら、鏡とともに、私も浮遊するかもと思ってみたけれど、やはりまっすぐに立っている私だった・・。
それだけのことでもいいけれど、もっと深いところの話かも・・たとえば、社会の中での自分の有り様、生き方。

 

洗面台の鏡の前で無防備に電気を消したら私も消える

「無防備に」消すと消えてしまう。用心深く消すとどうなるんでしょうか。自分自身にしっかり向き合わないと・・存在感なんてそんなものだよと言われているような。

 

じぶん自身の説明しにくい悲しみにしか涙が出ない たかく木蓮

とても共感できます。そして、手の届かないようなところにある木蓮・・ぴったりです。

 

はらまきをパジャマの上にしたままでこどもが朝のゴミ捨てにくる

何気ない日常の、こんなところに平和はあるんだな・・とつくづく・・

 

くちびるから伝わる体温またひとつ寂しい遊びをおぼえてしまった

キスをこういう感覚でとらえることが新鮮・・やや諦念があるけれど

 

神様のよだれのようにあたたかい雨あの街を守ってください

神様のおひるごはんの食べのこしみたいな雲とむらさきの空

神様は、とても親しみやすく、やんちゃで、わたしたちの身めぐりを浮遊しているのですね。


公園まで歩く途中で雨が降る あなたの名前の“さ”の音が好き

降り始めた雨が恋人達を濡らしていく・・あなたの名前のサ行のような音で・・

 

傘をさすまでもない雨 顔にあたるこの感じ微微微微微炭酸

ちょうど、今の季節のような春先の雨でしょうか・・微微・・・は、少し鼻につくところもあるけれど、結句の微炭酸ですっきり!

 

スプリングコート暑くて手に持てばあなたと出会った春の重さだ

こちらも、今の季節の頃でしょうか。春の重さは、あなたと出会ったという事象への重さにも通じますが、「暑くて」に、やや倦怠感が・・

 

「水濡れがありますから」と買い取ってももらえななかった『こ々ろ』と帰る

『こ々ろ』は、夏目漱石の本ですが、すなわち自分自身の心そのもので、「水濡れ」や汚れは、やはりあるもので、自分は、自分の心と向き合ってゆくしかないということ。

 

高木ブーに枯れ葉どさどさ落ちてくるコントをいつも思い出す秋

ドリフターズの中で、たしか高木ブーは、台詞が少なく、いつもこんな感じの演技が多かったように思う。ペーソスを感じる歌・・

 

八月の朝だコップを洗うとき最初に底にとどく中指

まだたべないところを持って食べるピザ さいごは指のあとごと消える

作者によって、気付かされたことがたくさんある。そして、こういうふうに詠えるのだということを教えてもらった。

 

青葉闇 そんなそこそこ幸せでいいのかよって踏切が鳴る

幸せの定義なんて、ほんとうにとりとめがない。自分自身が、幸せって思っただけで、そのまま幸せなんだと思う。
しかし、光のあたらない葉陰のように自分のなかの影を見ることがある。私はこのままでいいのか・・

 

ぽこあぽこぽこあぽこ とあわがでる水槽ずっと見る春休み

poco a poco は、音楽で速度標語に添える語だそうだ。「少しづつ」というような意味らしい。
春休みの、ぽわあんとした緩慢な感じがとてもよく出ていておもしろい。

 

されたこと、されたこと、されたことばかり お前が、やった、ことは、何だ

メディアが伝えることは、ほんとうに、責任問題が追及される「されたこと」が多い。リフレインのあとの結句が突きささってくる。

 

はやく帰って続きが読みたかっただけ ただそれだけで生きていただけ

子どもの頃、図書館で借りた本を、読み始めて、下校時刻になってしまって、早く、早く続きが読みたいと帰りを急ぐあまり、友達との約束をすっぽかしたり、邪険にしてしまったりして、「なんか嫌な子」と思われてしまう・・そんな思い出がある。
しかし、子どものころは、それが世界の全てであって、それだけで生きていたんだって、今、思う。