ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

光のアラベスク/松村由利子 歌集より

てのひらに森を包めば幾千の鳥飛び立ちてわが頬を打つ


 森は、南の島の熱の籠もった森、深く深く、数多の生き物を内包させた森・・
この島に移り住んできたという経緯が、未だてのひらに包みきれない森に真向かう作者のやや臆する心情があるのでは・・深読みかもしれないが結句からそんなことを思った。


夢は舟 会いたい人をひとりだけ乗せて夜明けの海を漕ぎくる

 社会詠や、時事詠が主流と思っていた作者の相聞歌に、ところどころで出逢って、嬉しい驚きを感じる歌集。
 会いたい人は、逢えない恋人かもしれないし、もうすでに亡き人かもしれない。
たったひと夜の夢が、たったひとりの人を運んでくる。それは、夜明けの海を静かにすべるように近づいてくる舟よりほかにない。


永遠を生んでしまった女たち水の匂いを滴らせつつ

「永遠を生む」ということは、有り得ないと思う。ただ、子を産み育てるという気の遠くなるような繰り返しのなかで、女とは、限りない未来へのエネルギーをはらむ唯一の存在ではないかと思う。そこには、羊水や汗、月経など、生々しい水の匂いがいつもつきまとっている。

 

夜の耳しんと立てれば流れ込む遠い呼び声樹下のささやき

 作者自身が、獣となって彷徨っている感覚だ。心地よい孤独感のなかで欲しているのは、懐かしい人々の声や、愛する人の囁きなのかもしれない。


喉渇く抱かれたくなる雨降らす暗みゆくわが森の混沌

 手をのばせば、相手の体温を感じられる距離ではない存在へのひそかなあこがれ。
雨は心情を素直にしてくれる。しかし、雨はまた、自らの森を暗ませ混沌とさせてゆくのだ。


羽繕いしているわたし明け方の雨はやさしく夢を濡らしぬ

小鳥来てそっと告げたりあなたしか渡れぬ橋が今宵架かると

 ここにも、明け方の夢・・。長い一夜の夢を潜り抜けてきて、タイムトンネルから
抜け出したような感覚。そしてまた、夜へ浮遊していくような・・タイムフライヤー的な二首。


世界中の人が使えば地球ひとつ終わる温水洗浄便座

 温水洗浄便座を世界中のすべての人が使うと、地球環境が破綻してしまう。
使えない人達がいるからこそ、成り立っているという視点。
日常の何気ない素材が、鋭い切り口として立ち上がってくる歌。


深海に死の灰のごとく降り続くプラスチックのマイクロ破片

インド製ユニクロのシャツのほつれ糸手繰れば今日も少女売られる

 この二首も、プラスチックのマイクロ破片や、ほつれ糸という、見過ごしてしまいそうな素材が、実は、とんでもなく大きな社会の闇の問題に繋がっているという視点。
冷静な観察眼。


ヒトの乳ネットで売られああ今日もクール宅急便の確かさ

春・卵子・母乳・わたくし 売買の許されぬもの抜き出しなさい

 良くも悪くもネット社会に生きる私達は、その渦のなかに身をおいている。たましいを売り渡さないために、自分はどう生きるかということを問うていかないと・・。


「犬の耳」みな折り戻し愛犬を手放すように本を売りたり

 印象に残ったページを折り返している「犬の耳」、それぞれを丁寧に折り戻し
本を手放す。大切な犬を売り渡すように・・

 

全員が「いいね」している戦争をあなたは否み続けられるか

 同じように思う事がある。日常に埋没している間に、考える隙も与えられないで
どんどんどこかへ運ばれていってるのではないかという不安・・
みんなが平和だと言えば、そうなんだろうなと思ってしまう現世。


火の匂いさせてあなたは踏み入れよ緑滴るわたしの森へ

そう、私、若葉茂らせ揺れていた。燃やされること恐れはしない

 やわらかな若葉に包まれて、穏やかなときを過ごすのは、それはそれで平穏だ。
しかし、それだけでいいのかと自らに問いかける自分がいる。もっと激しく、もっと強く、もっと高みへ・・たとえ傷ついたとしても、そう願う自分がいる。


ねむいねむい季節があった種子ひとつ水に沈めて見守っていた

 種子のひとつを水に沈めて、発芽するまでを見守る。
とてつもなく長い時間の経過・・。たとえば、それまでにすりきれそうな時間と対峙してきたとしたら、この無為の時間は限りなくぜいたくな時間だ。


草原に置かれた銀の匙ひとつ雨を待ちつつ全天映す

 銀の匙は、何のメタファだろうか。銀の匙と、あまりにも大きすぎる全天との対比が不思議な空間をつくりだす。小さな銀の匙プラネタリウムのようだ。
銀の匙は、作者自身で、雨に打たれることによって始まる新しい世界を希求しているようにも思える。


静かなる入り江へ舟を曳くように沈思あるべし小さく揺れつつ

冒頭に、、

夢は舟 会いたい人をひとりだけ乗せて夜明けの海を漕ぎくる

もあり、歌集のなかで、舟は、つねに作者の裡で揺れ続け、様々な感情を運び続けている。

 凪のひとときに身をおくときであっても、常に、どこかあやうき世界とつながり、水底に激しいものを滾らせている。
そんな印象の歌集であった。