ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

涼閑・川柳句集 「瓶からあふれだす夜空」 を読む

 歌人であったはずの「紀水章生」が、いつのまにか川柳を詠む「涼閑」と
という顔をも持ち合わせていた。
 わずか、一年半ほどの間にである。
 なぜ、この短い間に、「川柳」という十七音の短詩型が、彼をこれほどまでに
魅了したのか。
 あふれだした、そして今もあふれ続けている彼の「川柳」たちを、興味深く
読み進めた。


足跡が消される前に発芽せよ

足跡は過去のものである。やがてあとかたもなく消えてしまう運命なのだが、
それが消される前に、発芽せよと言う。 即物的なものに命が灯る瞬間である。

浮き沈みしつつ午睡の川下る

昼下がりの眠りを、ゆるやかな川の流れにたとえている。自らの体が、川と一体
となって、浮いたり沈んだりしながら、おおらかな海までの旅を体感しているよ
うに感じる。

仮眠して半覚醒の青い沼

浅い眠りから覚めたときの、夢のなかにいるのか、それとも現にいるのか、自ら
の体なのにそうではないような感覚、「青い沼」は、そんな底知れぬもののメタ
ファとしてそこに在るのだ。

樹を抱けば樹のうちにある水の音

樹という、壮大な生命体を抱いてその命の音を聞いてみる。樹と一体化したよう
な清冽なイメージが好きだ。

さびしさを奏でる前に切れた絃

何かの弦楽器を、自らの思いを込めて奏でようとしたのに、その前に弦が切れ
てしまった。不意をつかれた不全感、喪失感が漂う。

すべり台すべるあいだは空になる

「そら」とも「くう」とも、読める気がする。すべり台を滑る間が、スローモショ
ンのように切り取られて、その間、「そら」に同化し、心は「くう」となる。

濁流に身を乗りだして合歓の花

「身を乗りだして」の表現がいい。川岸に咲いている合歓の花が川面にせり出して
咲いている。濁流に、あの淡々とした合歓の花が耐えられるだろうか。その運命を
思いやる。

正しさがすこし重荷の秋の朝

こうあるべきだということが解っていても、そればかりでは押し潰されそうになる。
そこを少しはずれたり、あえて逆のことをしてみたり、だから、人生はおもしろい。

蝶の声あなたの耳を借りて聴く

選んだ句のなかでも、特に好きな一句。
蝶という繊細な生き物の声を、私ひとりでは聞きとることができない。しかし、あ
なたとならば、あなたの耳を借りてならば、ともに聞くことができるかもしれない。
繊細で慈愛あふれる一句だ。

トリミングするときそっとはずす月

風船を割らないように切り分ける

発想のおもしろさに惹かれた二句。風船は割れるのが当然と考えていることに少し
恥ずかしさと、さびしさを感じた。

別室に花カマキリを待たせ春

花カマキリは、何のメタファだろうか?花カマキリの、少しツンと澄ましたような
仕草と華やかさがイメージされる。少し自尊心の強い女性だろうか。作中主体の少
しだけもて余し気味の様子と、それでもこれからの明るい展開が春の体言止めで窺
うことができる。

わたくしという現象の交差点

「交差点」という、進む方向を自ら選び、そこから未生の時間へ進んででゆける場所。
そこから始まる「わたくし」は、一体どのように変化し、何者になってゆくのか。
自らの変貌を、自ら静観しているような一句。最後の一句にふさわしい。


 印象に残った句をいくつか引いてみた。
 どれも、自在にあふれ出て、夜空に浮遊しているような感じだ。作者自身が、これら
の句とともに浮遊している気がする。
 
 短歌と比べて、川柳は、表現の滞空時間が短い。その分、生まれるとき、ポップコー
ンがはじけるような勢いがあるような気がする。
 涼閑その人から生まれてくる言葉の数々は、今まさにポップコーンのようだ。あふれ
出すことに心地よさがあり、潔さがある。
 涼閑が魅了された川柳のおもしろさは、この辺にあるのかもしれない。