ゆるら短歌diary

ゆるらと、短歌のこと書いていきます  

永田愛さんの歌集「アイのオト」より

永田愛さんの歌集「アイのオト」より

 

冬の日にわれとふたりで生まれ来しいもうとがいて墓に眠れり

「抱けんまま骨になった」と母は言う木綿豆腐を切りわけながら

人混みでときおりわが手をひいてくれる妹の手はピアノを弾く手

霜月の部屋の扉は修理され滑らかにまわる銀色のノブ

やり直しのできる仕事の明るさよおもてを上げて廊下をまがる

どこからかようやく着いた舟みたい母がひなたに籠(クーハン)を干す

夫と子がいてもさみしい友だちのはげまし方を教えてほしい

冬の夜の空のたかさが苦手なりこの世にのこる覚悟が足りず

ちちははの死後のわが家とおもうまで蛇口のしたの滴がかわく

水平線までの遠さよ人間はひかりをかえす鱗を持たず

履くひとのいなくなりたる白い靴すなに半分埋まったままの

手花火の音がこわくてわが膝に凭りてくる児に空けておく膝

たくづのの白紙の舟いまきみが折っているのはたぶんかなしみ

きみまでの海図をふたたび描きなおす 冬を過ぎても雪の降る海

 

 

マトリョーシカの涙

北山順子さんの、第二歌集「マトリョーシカの涙」をいただきました

ピュアで、やさしい歌集・・・

 

人生を共に歩んできたような運動靴をきれいに洗う

日常と同化していく非日常この町で起きた心中事件

一斉に飛び立つ鳥に促され大事なことをひとつ決めたい

新しい私が生まれるならこんな優しい風の吹く日であってほしい

たこ焼きを買いに来るように生徒は在学証明書を取りに来る

緩やかな坂は誰かと登っても険しい坂はひとりで登る

よい香りが漂う人の中でその人は草原の匂いがした

「消えたい」も一つの欲であることに気づいてしまう氷点下の朝

降りしきる雪を向かいのビルにいる人も見ているこれは綿雪

父を二度失うような夢を見る水平線に月は浮かんで

大箱の中の中箱、中箱の中の小箱に秘密を入れる

心だけ旅に出ている母の背にメダカの餌はやったかと訊く

死ぬまでにやりたいことのひとつには摑み合いの喧嘩ってのがある

手拭いがS字の形に置かれおりそんなチカラの抜き方をしたい

「このカレーヤバいかも」とう若者と並んで食べるヤバいカレーを

乾涸らびた川を歩くよ今君が泣いているならそこまで行くよ

塔誌11月号より 「勝手に合評」

塔誌で、現在、紀水章生さんと、紫野春さんがされている「合評」

紀水さんに、「結構おもしろいからやってみない・・?」ということで

お試しに、11月号で、試作品をつくってみました。

名付けて「勝手に合評」

ちょっと、はまりそうかも・・(^^;)

ゆるゆると続けていけたらいいなあ・・

 

  にょきにょきと記憶の中から生えてくるかなしい過去にまく除草剤 
                                      希屋の浦

澄田 どちらかというと、楽しい思い出よりも、忘れたい悲しい記憶の方が、棘のようにささっていて、ふとした時に、蘇ってきたりするものです。「にょきにょき」というオノマトペが、ユーーモアとペーソスの硲で揺れている感じです。除草剤は、致死に関わる怖いものです。飄々と詠いながら、とどめの結句でドキリとさせられました。

紀水 かなしい過去が雑草のように生えてくるというたとえが個性的でふるっています。雑草というやつは抜いても刈り取ってもなかなかしぶといですからね。そこで最後のきりふだ除草剤の登場となるわけですね。ここの感覚はブラックな感じで、この除草剤には怖さも感じます。

  七連勤、蝉が僕なら死んでると冗談で言う上司にも言う     

                                  大橋 春人
澄田 過酷な仕事場の状況を詠っているのですが、蝉を登場させたことで、救われた感じがします。蝉は、地上に出て、一週間ぐらいで、その命を終わらせてしまうと言われてきました。地上で鳴き続ける蝉と、忙しく働き続ける主体、七という数字にリアリティがあります
紀水 この作品は印象深かったのか記憶に残っています。なぜ蟬なのか…人間は蟬とは違う…とつぶやきながらも、蟬の短く儚い生命へと思いをはせてしまいました。そのあたりは不思議なテイストですね。

  雨なしですっと立ってる長き草実はもう死んでいたのだ    

                               田中 しのぶ
澄田 栽培されている植物は、枯れないように、適度に水を与えられますが、そうか、野生のものは、雨を待つしかないのだ…。「雨なしで」の表現で、あらためてそんなことに気づかされました。立っているけれど、死んでいる…実は、人間でいうと、心でしょうか。
紀水 はじめ「草実」って何だろうと思ってしまいました。実は(み)とも読めますから。「じつは」とひらがなにした方がすんなり読めそうです。初句のところも「雨なしです」に見えたりして、少し損をしているかもしれません。
澄田 「長き草」「実(み)は」と読んでいました。「じつは」なのですね。心肺停止状態をイメージしていました。(笑)

  吾の知らぬ重みが鈍く光り合う圀友銃砲火薬店より        

                                  いわこし
澄田 塚本邦男の「山川呉服店」の一連を思い出しました。「圀友銃砲火薬店」の表記が、いかにも古めかしく、日常、一般の人は立ち入ることがない結界のような空気感に惹かれました。「吾の知らぬ」は、省いても充分伝わると思います。
紀水 旧字も使われていて読み方がどうかと思って検索してみると、まさに実在のお店が出てきました。由緒あるお店なのでしょうね。では、「吾の知らぬ」のところは、代わりにどういう語がはいるとぴったりくるでしょうか。
澄田 「重そうな・・・(具体的な物)が」とすれば…どうでしょうね。でも、これだと結界感が薄らぐかもしれません。「重み」とあるので、やはり「吾の知らぬ」で落ち着くのでしょうか。             

  履歴書に証明写真を貼るために少しだけ切り落とす両肩     

                           田村 穂隆
紀水 何でもない日常のありふれた行為であるにも関わらず、結句の両肩を切り落とすところが妙にずしんと響きます。写真の紙を切るのではなく、本当の両肩を切り落とすかのようで…。履歴書はまるで本当の姿そのままではいけないもののようにも思えてきます。
澄田 好きな一首です。規定の枠に閉じ込められて、削がれてしまう本当の自分、自分らしさでしょうか。しかし、主体は、そういう現実に気づく視点をもち、前向きに受け入れようとしていることが、「少しだけ」という表現で伝わってきます。

  明日からは地球やめます。空いちめんあかむらさきに塗り替へられて
       向井 和子
紀水 夕暮れどきの空の色はさまざま。美しい夕焼け、ときには不穏な色合いの夕空もあります。ひとはそれを見ては、明日を思い描き、喜んだり悲しんだりしています。初句の入り方にインパクトがありました。
澄田 たしかに、初句はインパクトがあります。地球の代わりに言っているということでしょうか。「地球を辞める」ということは、あかむらさきでは不満ということになるのでしょうか。
紀水 不満だということでしょう。そして、そう感じる理由があるのでしょう。
澄田 だとすると、主体自身が、地球で、スケールが大き過ぎる気もします。

  もう少し先で待ってる そんなこと言わずに行けよ遠くへ行けよ                                                 山岸 類子
紀水 はじめの言葉はパートナーの言葉なのでしょう。「待っている」というのは言って欲しかった言葉ではないかと思いますが、素直には反応できないのでしょう。先で待っているとかではなくて、今、もっともっと強く求めて欲しいのではないでしょうか。気持ちが痛いほど伝わってきて、切なく感じられます。
澄田 パートナーは、亡くなっていて、あの世で待っている、そして、すぐ先で待ってるから、早く来て・・と言われてるような気がした。でも、そんなにすぐには行けないから、もっと、もっと、ずっと先まで行って待っていて!という感じで読みました。一連の雰囲気からでは、読み違えでしょうね。
紀水 わたしの方も勝手読みかもしれません。口調から強いいらだちがあるように感じますが、意味的にはここで踏ん切りをつけるために言葉通りに「遠くへ行けよ」と言い放ち、意を決しようとしているのかもしれません。素通りできない作品です。

  脱皮して固まる前のやわらかな身体がどうか襲われませぬよう                                                 双板 葉
紀水 言葉を素直に受け取れば昆虫の脱皮のシーンなのでしょう。でも、それに主体自身の脱皮も重ねられているように感じられます。やわらかく襲われたらひとたまりもない今…。
澄田 脱皮した直後のあのやわやわとした頼りなさ、儚さをイメージし、どきどきとした臨場感を覚えました。しかし、一連を見てみると、閉店後のマネキンの着替えの様子を詠っています。もしかしたら、脱皮は、マネキンの着替えのために、服を脱いだ状態なのかもと思ったのですが、「固まる前のやわらかな身体」というのは、違うかもしれませんね。
ただ、マネキンの服を脱いだところを見て、脱皮へと発想を繋いでいった一連かもしれませんね。
紀水 ああ、他の作品と見比べていませんでした。この作品はきっとマネキンですね。マネキンにほんもののやわらかい女性のからだを見ているのでしょう。真夜中の改装作業のあいだにふっと天からおとずれた感覚…この仕事をしているからこその感覚でしょうね。素敵だと思います。