著者は、川柳をつくり、ドローンを自在に操り、YouTubeでは、美しい映像に短歌の朗読を重ねた作品を、次々と精力的に発表している。歌集『着地点のない日常』は、そんな著者の第三歌集である。
文字盤の消えてしまった時計からじかんを盗む如月の雨
音のない時間のなかを泳ぎきり明日の空へ声を届ける
著者の作風は、第一歌集『風のむすびめ』、第二歌集『風と雲の交差点』を通じて、一貫して変わらない。家族や、実生活や、自らの属性を明らかにする歌はつくらない。意識的につくらないというのではなく、その必然性がないと考えているように思う。
文字盤の消えてしまった時計、音のない時間、現実の世界ではない、異次元をたゆたうような感覚。けれども、そこに居続けることはない。下句、現実の「時間」ではなく、主体だけの「じかん」を取りもどし歩き始めるのだ。
二首目も、揺蕩いのじかんを泳ぎ切ったあと、下句で、今日、明日へと未来をつなげていく確かな意思を読みとることができる。
試験管立てても横に寝かしても中に嵌め絵のような冬の陽
陽が落ちて水平線が滝になる地球は崖と奈落の星だ
「陽」の歌を、二首を引いた。
一首目、 試験管という狭い空間のなかに、陽射しを閉じ込めて動かしてみる。硝子越しの陽がキラキラとして美しいが、試験管という領域を出られないものたちは、決まった場所に嵌められてゆくジグソーパズルのようだ。
二首目、壮大なスケールの歌だ。「水平線が滝になる」という、表現はもしかしたら、そうだろうか?という疑問を持ちながらも、下句、「地球は崖と奈落の星だ」と言われてしまうと、有無を言わさず、もうそちらの迫力に引っ張られてしまって納得し、ただただ感動してしまった。
「光」と「朱」の歌を三首。
光とも影とも重なる一本の樹として春が立っていました
ひらくとき光呼び込むひとすじの髪にも見える朱の栞ひも
体温はすこし高いめ朱の色のきれいな金魚に見つめられてて
一首目、光と影は表裏一体、「一本の樹」は人の一生、「春」は主体のメタファであろうか。
二首目、朱の栞ひもは、血のイメージにもつながり、ドクドクするような妖艶な印象がある。白いページを開いたときに、光があたり、栞ひもに視線が釘付けになった。それは、今も息づいているひとすじの髪のようだったのだ。
三首目、朱の色の金魚と、水槽越しに目が合った。主体を昂ぶらせるような魅力をもつ朱という色である。
「朱」から連なる、相聞の歌を三首。
鮮血のあふれる明るい満月の夜に重ねる尾びれと尾びれ
鳥たちの声のひらいていく花のひとつひとつが会いたい花だ
きみの手が小さなつぼみの中にいる春の歌声ゆびで弾いた
一首目、下句の「満月の夜に重ねる尾びれと尾びれ」が、ぬめぬめとした官能的な表現で、性愛の場面をもイメージしてしまう。上句は、躍動感があり、生きることへの喜びにあふれている。
二首目、鳥たちが花の蜜をついばみながら、次から次へと木々を移ってゆく。鳥がおとずれることによって、花びらが開かれてゆくような印象がある。下句「ひとつひとつが会いたい花だ」が非常に魅力的。
三首目、とてもかわいらしい、春を奏でる絵本の1ページを開いているような印象。
またひとつフェイズシフトの夜が明ける鏡の中のわたしと未来
著者の作品には、カタカナ書きの言葉を柔軟に取り入れている作品も多い。
一首目、「フェイズシフト」は単純に、エネルギー切れのような状態だろうか。「機動戦士ガンダム」には「フェイズシフト装甲」という装甲技術が出て来るようだが。夜が明けて、鏡の中に映る主体は、果たしてエネルギーを満たされているのだろうか。
二首目、「セミスィート」というと、ミルクチョコレートほど、乳成分を含んでいないややビターなチョコレートを想像してしまう。「セミスィートシンドローム」という疾患が、実際にあるのかどうか門外漢だが、チョコレートが溶け出すような下句との呼応が印象に残った。
傘がない傘がないっていうひとと星降る夜の銀河を渡る
水というものの不思議さ形変え満たしつつあふれあふれつつ満たし
宇宙人みたいなひとは鹿となり暗き夜屋根に芽生える出窓
天体、自然、シュールレアリスムの世界について
一首目、「傘がない」は、日常生活の一場面である。それを繰り返し言うことは、日常ではあまり無い。繰り返されることで、非日常へと瞬間移動し、やがて銀河宇宙へと飛翔していくようなファンタジーの世界が描き出される。
二首目、上句で、結論を述べてしまったのは残念だが、下句の「満たしつつあふれあふれつつ満たし」のリフレインが、主体の感情を表しているようで好感を持った。
三首目、「シュールレアリスム」の絵画をイメージさせる。バラバラの存在感でありながら、妙に引きつけられる存在感を持つ。
著者の深層心理について
ときどきは眼鏡をはずす表情が見えないくらいがちょうどいいんだ
銀色の少し冷たい文鎮にこころを押さえる役割を課す
冷えている足のつまさき温めてすこし緩んだひとりもいいね
ときおりは腰を下ろして振りかえる決別してきたものたちのこと
著者の属性は、あまり明らかにされないと、冒頭に書いたが、上掲のような作品に著者の「ほんとうのところ」がちらっと垣間見られるのがおもしろい。
一首目、ものごとに深く執着しない生き方とでも言おうか。人とのかかわり方も、深く入ってゆくということを敢えてしないということが窺われる。
二首目、文鎮の質感がつぶさに伝わってきて、なるほど、少し昂ぶった心も、シフトダウンできるかなと思ってしまう。
三首目、身体のなかで、つま先という、どちらかというと感情から遠い距離にある部位、そこが冷えているということを自覚してしまった、ああ、冷えていたんだと。そこをゆっくり温めて、自分自身をとりもどしてゆくような感じ。絶賛、共感できます。
四首目、長らく著者の作品に触れてきて、著者自身も、あまり過去を振り返ることをせず、作品にも、思い出を懐かしむような作品は皆無だと思っていたが、このような作品に出会ったことに驚いた。けれども、「決別」という言葉に、著者の強い意思とその生き方を垣間見ることができる。